メンズエステ人生を振り返る ~充実期①~

誰かのブログで書かれていたが、メンズエステには源流とされるものが2つあるとのこと。1つは前回の連載でも触れた「風俗エステ」で、もう1つは中国系の「回春マッサージ」だとか。これら2つのいい所を組み合わせて作られたというのが有力説と言われている。この説に立つとすれば、チンコを立てて抜くのは細かい法律や規定のことを脇に置いておくとお約束の範囲内ということに。それでいて風俗より安いなら、それでいい人にはたまらない。

デリヘルほどハードな内容は期待できないが、それより安くてそれなりには親密に過ごすことができる。ピンサロより高い価格だが、プライベート空間でゆったりと過ごすことができる。まだメンズエステがこんな絶妙なバランスの中で成立できていたのが2012年~2016年あたりまでだったかと記憶している。今シリーズではそこまでを充実期という扱いで連載していく予定で、まずはとりあえず2012年~2013年あたりの出来事を思い出しながら。

さて、前回シリーズから読んでいる人は1つ疑問に思うはず。2011年が存在しないのはどういうことか? あの年は一時的に夜の街から明かりが消えたのだ。そして例の爆発騒動もあり、真っ先に大陸系セラピストが一斉に母国に逃げ帰ったのは有名な話でもある。さすがに色々と落ち着くまで自粛という選択をした方が多いようで、この年のメンズエステについて何があったかほとんど覚えていない。それだけ大きな出来事だったということなのだ。

その約10年後にあたる昨今も全く別の理由で夜の街から明かりが消えた。ただ10年前と違うのは地域差はあれど自粛派よりも積極的にお店に通う人が多かったこと。どちらも目に見えない存在が関わっているのだが、むしろリスクの高い接触を伴う今回の方が自粛されにくかった印象。単に人との触れ合いを求めていたということか。キャバクラ等の代用店として、お酒を飲みながら女の子と話したい需要を満たす部分もメンエスにはあったとか。

また今回は通常の飲食店も営業自粛で収入減が断たれる女の子が続出。岡村発言を引き合いに出すまでもなく、やむなくメンエスに参入するケースがあったのも事実。そのあたりの話は改めて触れるとして、確か2012年はアロマギルドに初参戦した年だったんじゃないか。変わらないコンセプトは果たしていいことなのか悪いことなのか。そして船橋のガネーシャにデビューしたのもこのあたりかと。2012年は千葉県内を本格的に開拓し始めた頃。

前回シリーズの最後で触れたように、マングローブのデビューはもう少し前ではあったがお店としてはこっちの方が実は後発。元から存在していたガネーシャの方が後から知った。驚くべきはこの時代にオープンしたお店が、状況はどうあれ2022年の現在でも存続していること。これまでにいくつものお店が勃興し、お店によっては話題になりながら消滅するなんてことを何度も見てきた。先行して参入したことによる強みなのか、立地の問題か。

初期ガネーシャはセラピストによるサービス内容の差が大きかった記憶しかない。いいセラピストは本当にいいのだけど悪いセラピストは本当に悪い。今ではあまり想像できないだろうけど、けっこうギャンブル要素の強いお店だったとも言える。そのあたりのクォリティは現在の方がはるかに安定しているだろう。ただし安定と引き換えに進化を失ってしまったのも事実で、目新しさはなく「たまに帰ってくる家」としての機能も果たせてない。

アロマギルドは津田沼店から始まったなぁ。今のお部屋に移る前に、同じ津田沼の違う場所で運営されていたことがあり1度だけその部屋に訪問した。変なベッドに寝かされてマッサージを受けた記憶がある。しばらく空いてから2度目の訪問をした時は現在と同じ部屋に。アロマギルドは後々に西葛西や松戸にも行ったけれど、どこも基本的にそれほど変わらない健全なマッサージがあるだけ。いいセラピストは時々いたけど本当に時々だったな。

千葉の初期のメンズエステは、コスパがいい部分もあったがまだまだ都内に及ぶものではなかった。なので主軸はまだまだ都内だったのも事実。次回は同時期の都内について語ろうと思う。

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