メンズエステ人生を振り返る ~黎明期⑤~

さて「黎明期」シリーズは今回が最終回。ここまでメンエスデビューから2010年あたりまでを描いてきた。当初は思い出の地、日本橋近辺での巡回がメイン。例の「Cielo(シエロ)」につながる「Louvre(ルーブル)」ではセラピストが私服っぽい感じで接客していた。あと名前を忘れてしまい思い出せないけど、確か高田馬場と飯田橋に系列店のあったお店にもよく通った。過去の文献を漁っても店名が全く思い出せなくて困っているのだが。

あとは都内の他地域だと、両国にある「ログイン」というお店にも何度か行った。確かあそこも電話番の態度が天才的に悪かったんだよなぁ。そうしているうちに2010年頃から徐々にメンズエステが首都近郊にも広まり始めた。もう潰れそうだけど津田沼の「マングローブ」デビューもこのあたり。当初はユニクロで買った安い黒ワンピースで施術してた。あのあたりから全体的にナース服でなく、私服っぽいコンセプトに移行し始めた気がする。

今になって思えば、黎明期のメンズエステ達は何があって何がないのかわかりやすかったなと。全てのお店ではないにしても最後には追加料金なしで回春(現在のディープリンパ)があったし、部屋に箱ティッシュが設置されていれば最後に何があるかゴールが見えたし。うつ伏せと仰向けの区分けが明確だったとは言え、基本的に横になっていればマッサージで癒してくれてしかもスッキリできる。転じて現代のメンエスはわかりにくくなった。

オプションをつけないと鼠径部がなかったり短かったり。かといってオプションつけても確実に勃起や射精ができるわけでもなかったり。中にはオプションつけたのにさらに追加料金を支払うことでようやく手コキなんてセラピストにも巡り合える。そうなると一気に風俗よりも割高な遊びに成り下がる。初期のお店は「風俗店ではございません」とHPに記載していたが、最近は「風俗的行為はいたしません」的な表現にすっかり変わったしなぁ。

現在はお店としてより「女の子の裁量」としてヌキがあるかどうか。まだまともなお店であれば入店時に形式的な誓約書を客にもセラピストにも書かせる。お店は知りません、あくまでセラピストが勝手にやったか客に無理矢理やらされたと主張する材料として。中には「抜いてでもリピートを取れ」と指示するお店もあるとたまに聞くが、どちらかというと店側は促進でなく抑制か禁止する方向で話をする時代に。だからセラピスト次第なのだ。

こう書くと改悪しかないように見えるが、よくなっている側面もある。まだまだグレーな所があるとはいえ、整備されることでこれまで想定外だった世代がセラピストとして参入しやすくなった。最たる例が学生層(18~22歳)の増加でありこれには賛否もある。だが性的に翻弄する経験に乏しい傾向にある彼女らからすればバードルは低い。さらにはそこがいるから通う客もいるわけで、結果的に間口が広がったことは紛れもない事実でもある。

初期のメンズエステはやや無法地帯だったとも言えるかと。それが徐々に認知され始めるにつれて、曖昧なままだった様々なルールが厳格化したのがその後の歴史ということなのだろう。一方で抜く代わりに客の心をつなぎとめるものが必要になっていった。カエル足やマーメイド、あと全体的に密着しての施術が増えるのはもはや必然だったと言える。興奮を促す施術という意味においては、うつ伏せと仰向けの区分けは不明瞭化していく。

その辺の施術の変化はもう少し後の出来事ではあるが、徐々に変わっていったのだろう。そんなことも知らずスローペースでメンズエステ周遊を満喫していた所に、あの大きな出来事がやってくるのである。

(充実期シリーズへと続く)

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