前回は2012年~2013年あたりまでの「千葉開拓使」について触れた。今回は同時期の都内について。この時期の思い出といえば2013年だったか。まだ移転しておらず茅場町にあったJAC(ジャパンアロマクラブ)へ足繫く通っていた時期である。JACといえば「あんな」そして「あんな」といえばJAC。他のセラピストに対して思い入れのある方々には申し訳ないが、あの店はそういうことなのだ。クリスマスキャンドルの灯はゆれているかい?
このお店の特徴として挙げられるのは「セラピスト待機部屋」そして「2回目ルール」ではないか。どちらも今はあまり聞かない制度になった。そんなお店に降臨した人気嬢「あんな」である。短期間で頂点を極めた後に消息不明になってしまった彼女。 もはや何が真実だったのか知らないけれど、知っている限りの思い出話をしてみよう。もしも何か訂正があればぜひ。彼女との出会いは初訪ではなく、確か2~3人目あたりだったかなと記憶。
色白で少し肉付きのいい、京都訛りのある可愛い女子大生。京都といっても誰もがイメージするようなメイン地区に住んでいるわけではなく、それこそ嵯峨野線沿線の出身みたいなことを言っていたような。大学受験で合格したのが東京の大学だけだった模様。所属しているサークル活動のことを話していたなぁ。元々はJACがリネンを出していたクリーニング店でアルバイトしてたのを、店長だがオーナーだかにスカウトされ入店したとか。
実情はどうかわからないけど、夜職に染まった感じではなく素人っぽい雰囲気。巨乳でしかも20歳前後の若さ。当時はこのくらいの年齢のセラピストはまだ希少。今思うと「あんな」って現代のメンエスでヒットするセラピスト要素を全て備えている。プロっぽいのもいいけれど、客は擦れてなさそうな女性に幻想を抱く。しかもそれが寛容だったのだから言うことがない。よく言えば寛容なんだが、あえて悪く言うと少々やり過ぎだったか。
お触りフリーで感度がよく濡れやすい。指を入れると「中よりは外が好き」と言う女の子であった。おそらく彼女のファンの中には、ゴム有無に関係なく挿入できた人もいたのかも知れない。ファミリータイプのマンションでしかも待機部屋もあるので、どうやってうまいことごまかしながら客を捌いていたのだろうか。あのお店の特徴からして、お局によるやっかみや嫌がらせは多々あったんだろうなというのが容易に想像できるのである。
いわゆる「あんな」争奪戦は楽しかった。前日予約不可で当日のみ、70分限定で予約可能。LINE等のオンライン予約が広く普及する前の頃の話なので、インターネットがない頃の「チケットぴあ」みたいな状況。中にはお得意様扱いで優遇されていた客もいるかも知れないが、受付開始時間と同時に電話攻勢というのがいつもの流れ。開店直後の時間を確保するため、あえてわざわざ現地近くに向かってから電話したこともあったなぁ。
あんなにセラピスト予約を取ることに夢中になったことはない。結局何回くらい入れたんだけっけか。マッサージの技術そのものはそれほど高くなかったが、あんな内容ならそれもあまり関係なし。70分指名料込みで15,000円ほど。過ごせる時間だけ見たら割高かも知れないが、オプション別とかじゃないので今のメンエスとは比べ物にならないほどコスパ良。昔からのメンエス愛好家はこういう時代を知ってしまっていることが今では不幸。
今のメンズエステは何だよ、と言いたくなってしまう気持ちは非常に理解できる。消えてからの「あんな」捜査も一時期話題になった。どこそこのお店に移籍したなんて話は掲示板にも挙がっていたが、結局真相は一部の人間を除きわからずじまいだった。そして翌年くらいだったか、錦糸町のメンズエステで「あんな」と思われるセラピストを発見し訪問したことがある。名前が一緒で写真は顔出ししていないが雰囲気は似たような感じだ。
もしやと思い行ってみたが結果は全くの別人。冷静に考えればそりゃそうだろう。しかし明らかに「あんな」という人気セラピストが存在していたことを知っていて、わざと同じ名前でプロフィールを似せて捏造したのだろう。もはや店名も忘れてしまったが、非常に悪質な手口で悲しい気持ちになった。そのこともあって錦糸町は絶対にメンズエステで行かない街に認定された。錦糸町に系列を持つ千葉県内のお店も同様に信用していない。
クリスマスキャンドルの灯は消えてしまった。いわゆる「あんな」ロス後はJACに行く目的も失っていった。その後JACは他地域に移転しその数年後には消滅に至る。次回は2014年の思い出話について。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。