平成が終わりつつある今、パンチラを考える(抑制編)

これまでのエロ情報でも書きましたが、高校時代に大学生だか社会人だかと付き合っている噂の立つ同級生女子がいました。それに社会に出た時も、現役女子高生と付き合っていることを公言する同僚がいました。また女子校の教員はけっこうな確率で元生徒を妻にし、その中には生徒時代から愛を育んでいただろうケースもあったことと想像されます。でも今はどうでしょうか?

今の世の中、女子高生と付き合ってSEXしていいのは同じ高校生までという暗黙のルールが存在します。ちょい上の大学生ですら現役JKと付き合っているとわかると、同級生の女子大生は眉を顰めるんだとか。女子高生はもはや聖域となってしまった感が否めません。そしてその聖域を作り上げてきたのは、メディアであったり母親を中心とした保護者たちであると思っています。

前回の続きで、ここではパンチラの「抑制」について書いてみようと思います。 実のところそのように感じられる予兆は、今考えると2000年代が中盤にさしかかろうとしていたあたりから徐々に顕在化していました。最初にパンチラが抑制されているなと感じたのはテレビの世界で、特にアニメやバラエティの世界において急にパンチラ描写が厳しくなり始めたのに気づいたこと。

1990年代のセーラームーンはレオタードだとわかっていても「あれはパンチラである」と脳内変換して楽しめる要素がありました。しかし2004年に始まったプリキュアシリーズにおいてはそれは皆無で、スカート姿で戦うシーンにおいては必ず「パンチラをガードするものを穿いているよ」という明確なメッセージが込められていました。あのあたりから流れが変わったんですよね。

またバラエティにおけるパンチラを語る上で外せないのが「ネプ投げ」です。当時まだ若手で人気上昇中だったお笑いトリオ「ネプチューン」のバラエティ番組内で、スカート姿の若い女性を巴投げし時には開脚させてパンツを開放するというコーナーがありました。あれが打ち切りを余儀なくされたのは2001年ですが、それ以降バラエティでパンチラを控える風潮が広まりました。

誰もが持つようになった携帯電話やスマートフォンは、実際にやるかどうかはともかくとしてその撮影機能がスカート内の記録を助長する上で大いに役立ちました。これによってそれまで一部のプロやマニアのような人物しかやらなかった盗撮行為というものがカジュアル化し、何気ない一般人が密かに心の奥底で描いていた欲望をダイレクトに発揮することになったのです。

当然ながらそのターゲットとなりやすいのは女子高生たちです。さすがにあれだけ短いスカート姿で被害に遭わない方が無理なのですが、かといっていったん短さを享受してしまったスカートを強制的に長くするわけにもいきません。ならば盗撮する側を全力で取り締まっていくしかないわけで、彼女らは過剰に保護され気安く触れてならない「生ける神」となっていく。

当然ながらそれは規制や取り締まりの対象となり、結果として行動の抑制という1つ目の事象が起きました。今では階段やエスカレータをかけ上がる女子高生を見上げる行為すら危ういし、なんなら階段やエスカレーターでスマホを操作する行為も憚られる世の中になりました。 性的嗜好としての女子高生は野放しのままで、関与した男性への風当たりだけが苛烈になっていく。

その間、女子高生のトレンドも変化していました。それまでのギャルっぽくてバカっぽくてエロさ満開というスタイルが支持されなくなり、やや清楚というか上品なかわいらしさの方が好まれるように。ルーズソックスはあっさりと紺ハイソに乗っ取られ、スカートも短いけれど前よりもやや長めが主流となっていきました。よく言えば彼女らも徐々に洗練されていったのです。

それから間もなくして、女子高生たち自身も自らの性的要素を抑制する方向に走り始めました。そう仕向けたのは母親たちでしょうけど、夏服でブラウス姿の女子高生たちはブラジャーを透けさせなくなりました。それ以前にも透けブラを気にして夏でも暑苦しいベストを脱がない女子はいましたが、薄着のままだけど中にTシャツを仕込む子が2000年代の後半あたりから急増。

かつてJKブームの渦中にいて、クソ短いスカートに生パンだった女性たちが母親になりつつあります。彼女らは自分の娘に同じ格好をさせる選択肢を持っていません。女子高生の持つ性的な香りにはすべて蓋をする。平安の世では女性はやたらと人前に姿を見せないものだったと聞きますが、姿は見せて肌の露出も多いけど下着に関してはとことん見えないものにされている。

それはやがて「キャミソール」というあの肌着に到達します。もはや夏の風物詩であった現役JKの透けブラは死滅しました。そしてパンツの世界においても見せパンだとか黒パンだとかが流行し始めるのにそこまでの時間はかかりませんでした。見せていいからかえって大胆になるためやっかいなのですが、透けブラほどではないにしても女子高生からはパンチラも消えつつあるのが現状

もはや今の世の中、パンチラは風俗やメンズエステ等の特殊な世界でのみ楽しめる骨董品のようなものになりつつある。ブームの頃ほどではないにしても、女子高生たちは肌の露出は多く様々な防衛策も整ってきている。ただそれゆえにガードは緩くなり羞恥心は崩壊したままで、だからこそ夢の国であんなことができるわけで。でも見えるのは見せパンなので完全に生殺し。

1度その魅力を知ってしまった私たちは今後どのように生きていけばいいのか、その解決策としてLibido-Laboは存在する意義があるのかも知れません。


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