ちょうど丸々1年寄稿してきましたが、せっかくの記念なのでこれまでの人生のパンチラに対する感謝の念を述べたいと思います。遡れば幼稚園生の頃から、同い年の女の子たちの乗っているブランコの右か左の後方に陣取って、同じパンチラ好きの友達とスカートの中を覗きまくっていました。「ここならパンツが見えそうだ!」という感性は、既に当時から研ぎ澄まされていたのかも知れません。
小学生になり、当時はブルマ全盛期で同級生の女の子たちは皆ブルマで重ね穿きをしていました。ブルマつきという条件であればクラス全員の女の子のパンチラをゲットしてきましたが、小学校生活を楽しいものにしてくれたのは例のスカート率100%、糸井重里じゃないですけどほぼ毎日生パンチラを提供してくれたAちゃんのおかげです。本当に楽しい思い出をありがとうございます。
現代の娘を持つ保護者の感覚からすれば、毎日スカート穿かせてしかも生パンなんて発狂してしまうことでしょう。しかしながら確かにそれはあったんですよね。彼女は発育もよく体育の前の生着替えで何度が生乳を見たことがあります。そこそこ仲は良かったのですが、もっと仲良くなっていたらおっぱい揉ませてもらえるような関係になっていたかも知れない。そう思うとちょっと残念です。
中学生時代はパンチラ冬の時代でした。全員強制スカートになるのはいいことなのですが、まるで地面を這うのではないかと思われるような長さのスカートでは風チラですら夢のまた夢でした。しかもせっかく見えたところでブルマかジャージなわけで、パンチラって世の中のどこにあるんだろうかと不安にすらなりました。そんな中、唯一の生パンチラの思い出をくれた彼女には感謝ですね。
中学生まではブルマ時代でした。同級生の女の子たちがもはや下着姿と変わらない状態で走ったりしていたわけですが、当時はあまりそういうエロい目で彼女たちを見ていませんでした。中にはブルマから透けるパンツの線に勃起していた友人もいましたが、もう少しじっくりその辺を凝視しておいた方がよかったんだろうな、と今になってみるとしみじみ思います。ちょっともったいなかったな(笑)
高校生はルーズソックス全盛期で、スカート丈も現在のスタイルの原型とも言えるような感じでした。おそらく短さだけなら今よりも勝っていたんじゃないだろうか? 裏を返せばけっこう下品な制服の着こなしをしていた世代なのかも知れません。その割には少ないチャンスでしたが同級生の女の子の生パンチラをそこそこ楽しむことができました。彩りのある思い出をくれてとても嬉しかったです。
それよりも今考えると、キャミソールなんて代物がなかったこともあり、同級生の女の子たちはそのほとんどが白かピンクか水色のブラが透けていて、下着の色を確かめ放題だったことが今となっては奇跡というのが感慨深いです。もちろん中にはそれがイヤで夏の暑い日でもセーターを脱がなかった女の子も何人かいましたが、まさかあのシーンがこれほどまでに貴重になるとは驚いた。
その後はそれこそアルバイトしていたお店のパートさん(当時40代前半)のパンチラに勃起したり、AV買いに遠征した帰りにマイクロミニスカートからずっとパンツが見えている経験をしたり。とにかく偶然や必然を駆使して数多くのパンチラを目撃してきました。たぶん他の男性よりもそこを意識して行動しているため、ゲット数もゲット率も平均値よりは高いという自信があります。
ただ「盗撮する」という行為に至らなかったのは、私タウルス美濃が比較的健全なパンチラウォッチャーだからでしょう。もはやパンツを見ることに執着し過ぎて止められないという状況であれば、こんな風にエロ情報なんて書いていられる状況ではなかったと思います。きっと塀の中で何かを後悔しながらその日その日を生きていたかも。本当に今の自分でよかったなと心から思います。
パンチラというのはいつか忘れられてしまいがちなものです。男ならだれでも、経験を積めばパンツが見えるくらいでそんなに極大値的な性的興奮を覚えることは徐々になくなっていきます。ある意味でパンチラ好きというのは少年の証であり、歳をとってもそれが好きだということはまだまだ子どもであり未熟であるということの証左なのでしょう。だとしても私はそれでかまいません。
スカートの奥から見えるあの布地は、多くのキラキラした魅力を内在している。やっぱり私はパンチラが大好きだなぁ。
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