メンズエステ人生を振り返る ~混迷の時代へ③~

前回に引き続き2017年~2019年の話題で、今回は都内ではなく近郊の話。このあたりから徐々に首都圏と言われる場所にもメンズエステが増えてきたような記憶がある。おそらく都内だけでは厳しく、開墾というか開拓する必要に迫られたのが実情であろう。最初は川など県境を隔ててすぐにある、都内から電車でアクセスしやすい場所に。これは経営者やヘルプで勤務するセラピストたちが通いやすいようにという意図から。

例えば千葉でいうと、西船橋や船橋が先で千葉はその数年後みたいな。まあ地理的には市川や本八幡の方が都内には近く、老舗と呼ばれるお店もいくつか存在する。ただ地域的には色々厳しいのか市川市のメンエスはあまり発展している印象はない。もちろんどの路線を意識して進展していくかで盛り上がり方は変わるので、これが常磐線になると話が変わってくるし埼玉にも同じことが言えるかといったら少し違うであろう。

2017年のMがオープンした頃の話は前にも触れたので、新川れいなについて少しだけ補足。3度ほど指名して通ったのだが、正直な話として美人ではなくどちらかというと愛嬌のあるという表現が適切。スレンダーではないがぽっちゃりでもなく、適度に肉付きがよい体型。マッサージ技術が高いのに仰向け施術ではちゃんと股間への施術が徹底していて、軽いおっぱいタッチにも寛容という当時はコスパ高のセラピストだった。

真面目なマッサージが上手い場合、相反してエロ方面は微妙ということが多いのがメンズエステの特徴でもある。そういう中での新川れいなというセラピストは当時としては希少な存在で、今では絶滅危惧種といってもいいのではないか。あの頃は増税もありメンズエステが高額化していく過渡期の中、今でも周囲のお店に比べて安い価格を維持し続けているのは評価に値する。まあファミリータイプの部屋だからの価格だけど。

危機感を覚えたのはガネーシャか。看板ともいえるセラピストが引退、翌年Lapin(ラパン)が近隣にオープン。過激行為を無視してお金を巻き上げるという、それこそガネーシャのビジネスモデルを否定するかのような戦略で乗り込んできた。一方で在席セラピストに経年劣化と高齢化の波が押し寄せており、好素材を新規採用しても常連が即刻潰す事態が続く。今や未経験や若い子たちには入店候補として避けられる存在に。

それでも存続できているのは、歴史の長さもあって抱えている顧客数の多さと安価で鉄板のイメージだけであろう。安価で鉄板だからこそ、少々年増でもオイルが不快でも通う人は通うわけなのだから。選択肢が増えた現在において、若く自身を高く売れる価値のあるセラピストならこのお店を選ぶ利点がない。しかも最近は裏オプとしてお金を取るブ〇で無粋なセラピストもいるようなので、お店が放置する限り終わるのかも。

今は潰れてしまったが、津田沼のマングローブに最も熱心に通ったのもこの時期だった。ガネーシャ同様にもっと前から存在していて、過去にもいいセラピストはそれなりにいたお店。最後のお気に入りにだったのは「ゆい」だった。彼女はおそらく3年くらいは在籍していたのだろうか、入店当初に1度だけ入ったことがあったがその時はあまりいい印象ではなかった。美女だがマッサージは下手、最後も不完全燃焼だったので。

その後は年単位で放置して入ってみたら… という話は実は過去に記事にしてある。まあ彼女の施術スタイルもあの時代だったからOKだったわけで、密着その他がメインの今のメンエスでは通用しない。いい時代にセラピストをやっていたと思う。あとは2019年の初頭に行った、現在のアロマエスポワールの前身であるアロマライズについて最後に少し触れておこう。今もそう大して変わらないのだが、当初は酷いお店ではあった。

駅から最も遠い、現在で言うところのいわゆる「ハズレ部屋」のみでひっそりと運営されていた。2回ほど通ったが出てくるセラピストはいずれも30前後で、マッサージ技術はなく寛容さもなく値段はそれなりに高いボッタクリ店。会話も客を小バカにするような感じだったし、あんなお店がなぜ今のような地位を築いたのか未だによくわからない。後の店名変更の際に経営陣が変わったとか、駅北口に強い競合がいなかったとか。

寛容でいいセラピストもたまにはいるけれど、全体としてはつまらない健全店。こういうコンセプトのお店が増えてきたのがこの時代の特徴であったように思う。次回はもう少し他の店舗の思い出話を語りつつ締めたい。

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